Friday, March 8, 2019

9曖昧な境界線

第九課 あいまいな境界線

オリンピックの競技を観戦していると
さすが一流の選手だけのことはあると感心するなかりだ
彼らはあれほどの能力を発揮できるのは素質だけでなく
日々のトレーニングの積み重ねがあるからだ
そして能力を最大限に引き出すためには
科学的なトレーニングも不可欠である
だが、もしそれ以上のものを望むならどうするだろうか
ここにドーピングというわなが待ち構えている

スポーツ選手が、主に薬物使用などの不正な手段により
競技成績を上げようとする行為をドーピングという
IOC(国際オリンピック委員会)は
そのような行為を一切禁止している
スポーツである以上、
フェアプレーに対する不正な行為を許すわけにはいかない
また、薬物の使用は選手自身の体に深刻な害をもたらす恐れもあるだけに
医者の立場からしても
それは認められない
ドーピングは薬物だけとは限らない
近年関心を集めている問題として(血液ドーピング)がある
血液中にある赤血球は酸素を運ぶ役割をしている
この赤血球が増えれば
それだけ酸素をより多く摂取
運搬することが可能になり
持久力がアップする
そこで、事前に一定の血液を抜き取り
赤血球が不足した状態をつくり
体をそれに適応させる
そして、競技直前にその血液を自分の体に輸血して
赤血球を増やす方法が考えられた
しかし、トレーニングによって
身体能力を高めるのは良いが
元々自分の体にない物質を取り入れることはもちろん
たとえ自分の体にあるものでも
人間の営みとして不自然な行為で安易に成果を得ることは不正な行為だと
IOCは考えた
したがって、これもドーピングであると判断された

ところで、血液中の赤血球を増やす効果がある練習方法として
(高地トレーニング)と呼ばれるものがある
レース前に数週間にわたって高地で生活しながら
練習するもので
マラソン選手を中心に
世界レベルの選手の間では一般的に行われるようになった
平地で暮らす人間が酸素濃度が低い高地に行けば
体はそれに適応しようとして赤血球を多く作る
その生理的な仕組みを利用するのである
体のメカニズムが解明されることによって
科学的なトレーニングも進歩した
高地トレーニングはその一つである
しかし、科学的なトレーニングは
選手たちに不自然な状態を強いるという一面を持つ
わざわざ酸素が少ない環境に身を置いて赤血球を増やすことが自然な行為だとは思えない
だから、この高地トレーニングも血液ドーピングと同じだと指摘する人もいる
これがドーピングとされないのは
たとえ人間の営みとして不自然な行為であっても
少なくとも血液を出し入れするような安易な手段によるのではなく
厳しいトレーニングによるものだけと判断されるからである
現に高地では酸素濃度だけでなく
気圧も低くなるため人体にかかる負担は相当なものらしい

それでは、もしこの高地トレーニングが平地でできるとしたらどうだろう
しかも気圧は平地と同じにでき
そこで生活しながら練習できる設備があるとしたら
実はもう既にそのような設備は実現している
これを利用すればわざわざ高地に足を運ばずに
手軽に練習ができるわけだ

この平地の(高地トレーニング)は
依然としてトレーニングではあるが
不自然なことが手軽にできるとなると
血液ドーピングとどこで線を引けばいいのかという問題が出てくる
(不自然)はどこから(不正)と判断されるのか
科学や医学が進歩した結果
トレーニングとドーピングの境界線があいまいになってきていると言えよう

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